鈴木 昌子 09
2008.12.24
田中さんがただいま卓球をお休み中ということで、急きょバトンタッチした鈴木昌子です。
<始まり・・・>
卓球を始めたのは小学校5年生のクラブ活動から、
その前から母とか児童館とかでは遊びでやっていました。
中学も卓球部に入りましたが教えてくれる先生はいませんでした。
(平凡な学生生活・・・)
当時私は文京区に住んでいて、同じ文京区内に卓球が強い高校がありました。
特にそこに行きたかったわけではなかったけど、先生に勧められ入学しました。
ところがそこからすごい卓球人生の始まりでした(オーバーです・・・)
<高校生活>
高校1年が10名もいました。
2年は5名、3年は3名。中学もあり一緒に練習します。
顧問の先生が練習方法を指示して散らばります。
初めて言われたのが「カット打ち10分ずつ」
私は「カット打ちって何ですか?」その程度だったのですよ。
東京の中でも有名なその学校は横浜や埼玉、県外から強い人が集まってきていました。
なので私は一番ペケだったのです。
恥ずかしいくらい差がありました。
この年に入った1年生が強いのが揃ったみたいで
春の選抜大会団体で優勝して全国大会に行きました。
団体で全国の出たのは数年ぶりといっていました。
2年生になったとき兼任でマネージャーをやれと先生に言われました。
中学と先輩にはマネージャーだけの人がいましたが、私の学年にはいなかったのです。
みんな卓球も強かったけど個性も強かった・・・いや 楽しかったですよ とても・・・
<出会い いろいろ>
ほとんどが卓球で大学や就職を決める中、お前の腕では紹介できないといわれ、
先生が勧めてくれた目黒の会社にあっさり就職。
家の近くで練習場所を見つけました。(文勤クラブ)
そのクラブにいた人が目黒でも練習をしているからと誘われクラブに入りました(ローズクラブ)
そのクラブにいた違う人が千代田区のクラブで人数が足りないからと
誘われ入ったのがなんと筑波大の卒業生が多いクラブでした。(名渓クラブ)
そこでまだプロになっていない西本さんと出会いました。
<運命の出会い!>
就職して2年くらいで松戸に引っ越してきました。
数年して母が、娘が土日に卓球を練習する所はないかと前川さんに聞き、
サタデーと青松会を紹介してくれました。
そこでけんちゃんとの出会い!
今年の10月で結婚10年を迎え、子供も9歳になり、
ようやく卓球にうち込めるかな~と最近調子にのっている私です。
こんなへたくそな私でも行く先々でとてもよくしていただきいろんな人と出会いました。
これからも初心を忘れず練習したいと思います。
次は青松会のプリンス 藤井さんにお願いしたいと思います。