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藤井 敦   10

 

2009.1.29 

《私の卓球人生》
私と卓球の始まりは中学時代に何気ないクラブ探しから知人が数人入部をしたクラブをきっかけに
卓球部に入部して一緒にピンポンをし楽しい中学生活を過ごそうという目的から自分の卓球人生がスタートしました。
そして訳も分からず入部をした中学校が千葉県大会2連覇中で休みも確か元旦にしかない程、
練習量は多く言うまでも無くスパルタな中学生活で当たり前の生活とも思いながらも3年間、
嫌ながらも朝練から夕方の部~夜も22時位まで練習に明け暮れた日々でした。
強い学校とも知らずに入部をしたのがきっかけに自分達の代も見事に千葉県で優勝し3連覇をする事も出来、
自分の知る限りでは後輩の代も含め5連覇までしたかと思います。

そして東京の高校に声を掛けられ強い人達の集団に混じり3年間鍛えられ
見事に激戦である東京都でも私達の代は見事インターハイの切符を手に入れました。
気が付くと人生の岐路ともなる大学そして就職かといった進路となり就職も大手企業からの誘いもありましたが
大学へと選択しましたが関東の大学はまたレベルも高く、
全国の有名な選手が集まってきて活躍というより有意義な時間を過ごすという方向へと向いてしまい
少しずつ卓球から離れていき華やかな時代にも終止符がうたれました。

それから15年の月日が経ち、
ある時仕事の関係で外回りをしている時に第2の卓球生活がスタートするきっかけがありました。
それは中学時代から大学卒業まで卓球部の体連として松戸市の中で続けたのは
自分の年代で知る限りでは自分と村上君の唯一2人だけだったと思います。
同じ学校で過ごした事はないのですがお互いに知ってはいたものの話した事すらもなかったのですが、
これを機に徐々に話すようになり、一緒に飲むようにもなり昔話に花を咲かせるという程の仲となりました。
私自身は卓球も辞め仕事の関係で不規則な生活もあり、
体調も優れてはなく病院からは運動を毎年のように勧められながらも休みの日は家でゆっくりするという生活が続き
体調で悩んでいた時に村上君に青松会を勧められたのが第2の卓球生活の始まりでした。

まだ若くバリバリと卓球に取り組んでいる若者からアットホーム的に接してくれる会員の皆さん、
そして練習も体育館で出来るという事と横の繋がりも大切にしているクラブなので
私的には素晴らしい環境の中で練習をさせて頂いています。

そしてお陰さまで卓球を再開した事により自分の周りには昔のように沢山の仲間も増え
今では仕事でも卓球界に拘る仕事も多くなったのと何より青松会へ色んな方が練習に来てくれるようになり、
そして新しく入会をしてくれた方と、年々 青松会が盛り上がり嬉しく思っています。

まだ至らぬ点も多々ありますが益々、
青松会が素晴らしいクラブとなるよう皆さんと一緒に頑張りたいと思っておりますので
ご指導の程よろしくお願い致します。

次は青松会に新たな光を灯してくれるであろうヤングマンこと山崎直人君にタッチします。

© 2016by seisyoukai

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