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青松会のあゆみ
 

「青松会」ハテ何ダロウ?
と興味をもたれた方々に、その成り立ちから現在までを少しでも正確に、そして面白く読んで頂ければ幸いです。

 創成部分を担当することになりました昭和一ケタ生まれの小生にとって、近代の情報システムの発達に、ただただ感嘆の毎日です。
が当然我が会にもエキスパートが数名いましてこの度、我々のホームページを立上げる運びとなり、広く皆々様とご交流賜れば我々一団の喜びとするものです。

 さて、世の常として「無」に何かの触 が働きかけると変化が起こります。

 小生の小宅の近くに千葉県の敷設「青少年会館」があり、夏、冬期の休学期間中にはかくスポーツの講習会が会館の主催で行われていました。
その講師を依頼されたのがきっかけで、即ち、これが触 となりました。
小、中学生が対象ですので、卓球の面白さを伝えると同時に、教育的な面での指導も欠かせない大切な要素です。
初期の頃から小生の手助けをしてくれた伊藤氏(現青森在住)次いで野口氏等々多々が愛情と適切な規律をもって児童に接してくれました。
講習会終了後も練習継続を希望する親子が増え、同会館で定期的に練習を続けました。
永沼氏、大川氏、柳橋氏と指導者の数も追々ふえて行った。
女性の場合は家事、育児などの時間的制約がある為、男性のみにお願いしていました。

 あの当時の社会背景は高度経済成長でした子供達は高学歴を求めるご両親の意向でスポーツより学習塾に次第に移行していきました。
小生の見た子供たちの中に二名程大変卓球センスの良い子がいましたが、保護者でもない我々には踏み込めない事と諦めざるを得ませんでした。
以上が小生の記憶では昭和四十九年から五十一年頃の状態でした。

 子供の数か減って行く一方で、練習場を求めて成人の加入者小賀氏がありチームの体制も整いましたので、昭和五十年四月松戸市卓球協会に正式に[青松会]名で登録し、以来現在進行形です。
上途でお解かりのように青松~青少年の少を松に置き変えた物です。
初心忘れずの思いがその当時強かったのでしょう。

 そもそも創成期に参加した方々が期せずして優れた論理感覚の持ち主揃いでした。

それがそのままチームカラーになっていると自負しています。
一度ご来場下さればご理解いただけるものと思います。

昭和五十年に発足以来三年目位に記憶していましたが、むさくるしい男のチームに紅一点が加わりました、平賀さんです。
彼女の加入をきっかけに女性チームが誕生する事になりました。

 残念ながらその頃には子供たちは来なくなり、従って青少年を対象とする会館に練習場を求めることが出来なくなりました。
が選手の意気は増々盛んになり成長期に進みます。

(村上)

 

青松会 名誉会長で前松戸市卓球協会会長でおられる、
村上様より青松会のあゆみを作成していただきました。

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