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菅原 裕也   23

 

2010.6.13 

小松君よりご指名頂き4ヶ月・・・皆様、毎度お世話になっております。
私の15年間の軌跡を簡単ですが、御覧ください。

<卓球との出会い>
私と卓球の出会いは中学1年生のときでした。
小学生の間、書道やサッカーなどをやっていましたが
何一つ続けることはできませんでした。
入部したきっかけは「楽」そうだったから・・・、でした。

<卓球への目覚め>
入部した後も相変わらずで、素振りはやらない、練習中マンガを読んだり、
友達と騒いだりとやりたい放題でした。
わずか3ヶ月で「無断欠席を後一回すると退部させる」と言われる程とにかく問題児でした。
そんな中、ある試合の団体戦での出来事です。
自分より実力が下の仲間が試合に出て活躍してるじゃありませんか!
「自分の方が強いのに何で!?」と言っていたのをたまたま聞いていた方がいました。
それが今でもお世話になっている山崎家のお母さんでした。
「悔しいのなら頑張って練習すればいいじゃない。」
この何気ない一言がきっかけでした。
もしこの一言がなければ今私は皆さんの前にはいないでしょう。
感謝しております。

<軌跡>
その後、中学2年生から?再入部かな・・・。
毎日、基礎基礎基礎基礎基礎基礎・・・ 。
2年生の夏くらいからレギュラー。
それでも毎日、基礎基礎基礎基礎基礎・・ ・。
念願叶い、3年生で見事団体松戸市優勝→初の県大会(一回戦敗退)
中学の担任と顧問の先生のお陰で高校は推薦で入学。
高校では入部してすぐに練習中のアクビが原因で辞めろと言われ1週間自宅待機。
めげずに初の個人戦で県大会ブロック予選ベスト16。
その後、秋の予選で個人ブロック予選3位入賞→高校初の県大会出場。
そして団体のレギュラーになりサーブとレシーブが下手すぎたため意地の反復練習。
高校では団体はベスト8 、個人はベスト16が最高記録でした。
県民大会にも出場させていただきました 。

その後、学生の間は青松会にお世話になりました。
就職し、東京に行くことになり約5年間ラケットを握る機会がありませんでしたが、
この度出向となり、復帰し現在に至ります。
青松会の方々には非常に良くして頂いて感謝しております。
この場を借りて御礼申し上げます。

次のご指名は、7色カットマンの斉藤さんにズームイン!

© 2016by seisyoukai

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