斎藤 昭文 24
2010.7.25
自己紹介
出身地 千葉県鎌ケ谷市
生年月日 昭和41年3月6日 44歳
家族 妻 長男・次男の4人家族
「一芸は身を助ける」
まさにこの言葉がピッタリあてはまる半生でした。
小学生の頃は運動神経もいいわけじゃなく当然、
勉強もクラスの中では下の下に位置している存在でしたが、
小学5年生の時に運動の楽しさ教えてくれたすばらしい先生に出会い
運動の基礎である走ることの大切さを覚え小さな自信を付けた頃、
小学校六年生の時に週に一度好きなスポーツを行う授業が卓球との出会いでした。
なにげなく卓球を選び3点先取のゲーム形式練習で自分が出すサービスに(たぶんブッツケサーブです。)
相手がレシーブできないと卓球の回転に対する魔力に引き込まれていきました。
中学生から本格的な卓球に取り組むようになったものの
私の中学校は県大会の予選も一回戦負けの弱小チームでしたが、
大変熱心で情熱のある(卓球のことは何も知らない本人もできない)
顧問の先生のおかげで練習時間や練習試合には事欠かすことはありませんでした。
私の中学校時代は六実中が黄金時代を築いていましたが、
その事などまったく知らずに練習試合を申し込んだのが1年生の夏だったと思います。
やっとフォア打ちができるレベルの私に対し
六実中の同級生は(カットマン)すでに両ハンドのカットが出来上がっていてびっくりしたものです。
(そのカットマンは熊谷商業で渋谷とダブルスのパートナーでした。藤井さんの後輩にあたります。)
試合は当然ボロ負けでしたが、
当時の六実中の顧問の先生は「近所だからちょくちょく練習試合でも来て下さい。」
と声を掛けて頂きその日を境に練習に明け暮れる毎日でした。
「何とか互角に卓球がしたい」その思いで練習をしてきた甲斐があって
3年の県大会は団体戦決勝で六実中と対戦することが出来ました。(負けましたが・・・)
その後、高校入学、大学進学、就職先とすべて卓球を利用してその身を助けて来ました。
今、自分自身の卓球人生を振り返って観ると人との出会いが非常に大きな影響を受けたと思います。
監督、同僚、先輩、後輩と色々な人との係り合いが自分に良い影響を与えてくれました。
何かに一生懸命に取り組んでいる人はそれだけで輝いていて人間的に大変魅力ある人物でした。
(仕事でも卓球でも・・・)
私の現在の目標は五十歳以上でしか参加資格がない
クラブ選手権三部(団体戦)へ出場して全国大会の上位に入ることです。(体がもつかなぁ~)
卓球が大好きで大勢の仲間がいる青松会に入会するきっかけを作ってくれた
高校時代の大先輩である藤井さんには大変感謝しています。
練習が始まると遮眼帯を付けた競馬馬のように周りを見ない自分ですが今後ともよろしくお願いします。