村上 雅治 14
2009.7.26
こんにちは、見た目だけ怖い村上です。
前回登場した渋井君もなかなかどうして、特攻服で”がん”飛ばせば怖いですよ。
さてそれでは卓球の話に移りますが、私は卓球を始めてから30数年が経過しています。
きっかけは小学校6年生の3月、
もうすぐ卒業というときにクラスの数人と机をつなぎ合わせて卓球モドキをしたのが始まりです。
その中に現在私と同じ松戸市役所で仕事をしている「夏井さん」もいました。
そして中学に入学した私は、不幸なことに熱心な指導者が異動してしまい、
指導者がいない状況で部活動をしていましたが、ちょうどそのころ、
”青松会”を父と野口さんそのほか数人の方々により立ち上げられ、
毎週日曜日は青少年会館で練習をしていました。
へたくそな私は、父が毎回のように連れてきていた日本大学の学生の下、
フットワークの練習を行っていました。
一回のフットワークの練習時間なんと!45分間!!
もうとにかく「ハー・ハー」いいながらやっていた記憶があります。
今思えば大変ありがたいことだと思います。
日本大学の諸先輩に感謝、感謝。
当時松戸市の中学校は松戸3中・六実中を中心に小金南中や常盤平中・栗ヶ沢中などが強く、
六実中で活躍していた藤井さんなどは、雲の上の存在でした。
今は雲の上ではなく、地上にしっかりと根を生やしています。
そして中学校卒業後、栃木県立の卓球強豪高に入学しました。
高校の名前は「藤岡高校」といい栃木県ではNo1、関東高校大会でも常にベスト4の常連です。
栃木県は中学校で卓球が盛んで同級生は関東中学チャンピオン、同3位、ベスト16、
栃木県中学校大会準優勝など物凄いメンバーでした。
一つ上の先輩も全国中学校卓球大会団体戦優勝メンバーがほぼ全員入学しており、
私などは全く蚊帳の外で、話をすることすら大変カナ?と思っていたら気さくに話しかけてもらい、
打ち解けるまでに時間はかかりませんでした。
練習時間は半端ではなく、一日10時間やったこともありました。
また、12月31日から1月1日かけて年越合宿をやったり、年間100日合宿なども経験しました。
このような経験もさることながら、
3年間栃木県まで通学したことも人生の中で大きなウェイトを占めています。
大学は日本大学に進みました。
昔お世話になった方々とは「ではいり」となっていましたが、
名前を言うと皆さん覚えていてくれました。
大学に来るとこれまた高校時代に全国に名の知れたメンバーが集まっており、
また、ボールの威力やスピードが高校とは全然違う大学のレベルに驚きました。
4年後卒業し紆余曲折はありましたが、松戸市役所に入庁し卓球をしています。
松戸市役所卓球部は、自慢ではありませんが(本音は違う!)
私が入ってから始めて全日本実業団選手権の千葉県代表になり、
現在に至るまで連続して代表となっています。
そのほか、個人種目にも多数の選手が千葉県代表となり、
近年では全日本社会人選手権などでランキングに入るような選手が活躍しています。
いままで、自分の卓球人生を書かせてもらいましたが、
この間30数年の年月を経てもこの「青松会」が存在することが素晴らしい事だといいたかったからです。
メンバーは変わりましたけれど(野口さんはずっといます)、アットホームな雰囲気は変わらないで残っています。
私も千葉県登録はいまだに松戸市役所ですが、市役所の試合には出ていません。
昔世話になった青松会で試合に出るのが楽しいし、このまま青松会で卓球人生が終われればいいと思っています。
それでは長くなりましたのでここら辺で終わりにします。
次は髭をたくわえ、若くても風格がある『細川さん』嫌がらずにお願いします。